聖歌67 主と共に生く
67 主と共に生く 作詞: N.Tujimura 作曲: M.Nishida 1、われ今主にて新たに生まれん 古きは去りて新しき人と 新たなる生命、川の如流れ その愛、光となりて輝く ※(くりかえし) われ主に侍らん、誓い違わず 永久(とこしえ)までも、主と共に生く 2、創られし者、皆清められ 罪咎(とが)ことごと洗れし今は このわが心ぞ御神の庵 わが家ぞ祝福の園、愛の庭 ※ 3、主に従う道 遠く嶮しくも 歌いつつ歩まん勝利を信じ われ真の父母に、侍り奉り 日ごと証し続けん御神の愛 ※ |
聖歌 第一部 67番「主と共に生く」
この歌は歌い込んでいくと非常に霊的な力強さが感じられ、ぐんぐん盛り上がる勢いがあります。1976年の聖歌編纂に合わせて作詞・作曲されました。この歌の理解を深めるために、「主によって新たに生まれる」という歌詞を中心に説明してみたいと思います。
パリサイ人の一人でユダヤ人の指導者のニコデモに、イエスは「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。
新しく生まれるという言葉は、ニコデモにとって理解できないものでした。「もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。ややムッとしたようなニコデモの問いに、謎のようなイエスの答えがあります(ヨハネによる福音書 第3章)。それは霊的重生(新生)のことです。
これはキリスト教の奥義につながる、意味の深い言葉なのです。
「新しく生まれる」とは、どういうことなのでしょう。これは自分で何かを決意して気持ちを新しくすることとは違います。そこには、今までと全く違うものがあるのです。
ヨハネの第一の手紙では、それを愛であるといっています。「わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている」(ヨハネの第一の手紙 第3章14節)
主による重生とは、神の子、神の性質にあずかるものとして、神の愛を体得するものとして生まれかわることです。さらに私たちの迎えたこの希望の成約時代は偽りの父母・サタンから真の父母の子女として重生する素晴らしい時なのです。
喜びと感謝を数えながら生活していきましょう。
(参照:『聖歌のめぐみ』)