聖歌58 丹心歌
58 丹心歌 作詞: Mong Joo Jung 作曲: Anonymous(K) 1、幾度死すとも、砕け散るとも たとえ身も魂も朽ち果つとも 慕わしきわが主に捧げまつる 熱きこの胸の忠誠消えず 2、幾度生命のわれにあるとも ことごとわが主に侍りて捧げん ゆるぎなき誓いの更に燃ゆる 熱きこの胸の忠誠消えず |
聖歌 第一部 58番「丹心歌」
この歌を作った鄭夢周(チョン・モンジュ)は、高麗王朝の忠臣です。恭愍(コンミン)王のとき、中心的な儒学者として用いられ、多くの弟子を教えて儒学を大きく振興させました。
高麗王朝が滅んだ時、忠臣として名高い鄭夢周の才を惜しんで文書を送り、新しい李王朝に仕えるよう懇請しました。
新しい体制をつくっていく上で、人望も徳もある鄭夢周が仕えるなら、これほど力強いことはありません。しかし、その意に背くようであれば、どんなに惜しい人材であろうと殺す以外にないのです。
鄭夢周にとっては、まさに生死の分岐点ともなる呼び掛けでした。その時、鄭夢周が返書として送った詩が、この「丹心歌」であると伝えられています。
「この身は死んでも また死んでも たとえ百回死んだとしても 白骨が泥土になり魂までなくなってしまおうとも 君を思う一片丹心は変わることがない」
また、鄭夢周は文書ではなく、返歌として歌ったという記録もあります。
やがて彼に、王が病床にあることが伝えられました。もとより鄭夢周は死を覚悟し、身を清めて王の病気見舞いに赴いたことでしょうが、確かな史実として残っているのは、その帰り道で刺殺されたということだけです。
かつて世に現れた忠誠の文人が主君を思って歌ったその心情は、真の主を奉ずる私たちの精誠と信仰を何と鼓舞してくれることでしょうか。
かつて真のお父様は、教会創立時代、劉孝元(ユ・ヒョウウォン)初代協会長と一晩中、涙を流しながら「丹心歌」を歌われたと伝えられています。