聖歌50 わがふるさと
50 わがふるさと 作詞: N.Tsujimura 作曲: Anonymous 1、懐かしきはわが故郷(ふるさと) 背(そむ)きし咎(とが)の地を離れ わが名呼びし父の御声(みこえ) 今ぞ今ぞ、会いまつらん 2、主の御許(みもと)ぞわが故郷 汚(けが)れし者の罪を負い 行きまししや十字架の道 主よ、悔ゆる身ぞ受けませ 3、神の幕屋、わが故郷 仇(あだ)なす人の生命(いのち)をば 許(ゆる)し続けし主の御心(みこころ) 奉(たてまつ)らばやその愛 4、父母なる国、わが故郷 開きたまいし真の道 今ぞ聖徒ら こぞりて立て 声高らかに、主ぞ歌わん |
聖歌 第一部 50番「わがふるさと」
辻村なをみさんが作詞を行い、改訂増補版聖歌発刊の年である1976年につくられた聖歌です。
今回は、曲名にもなっており曲中でも4回出てくる「ふるさと」という言葉を、『聖書』を通して考えてみようと思います。
ヘブル人への手紙11章16節に次のような聖句があります。
「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである」
この「彼ら」は、アブラハムやイサク、ヤコブといった旧約聖書の信仰者たちをはじめとする、神を信じ、信仰をいだいて死んでいった人々のことを指します。
かつての信仰者たちが天の国を自らの故郷として求め、またそのことを神様も喜ばれたと考えることのできる一節ではないでしょうか。
ピリピ人への手紙3章20節でパウロは、「しかし、わたしたちの国籍は天にある」と記しています。
ピリピ人への手紙はパウロの獄中書簡の一つです。獄中で死を目前にしてなお、かわらずに主を慕い求め、自分が帰る場所は天であると確信する、パウロの揺るがない信仰心を感じます。
天の国には神様がおられます。かつての信仰者たちが慕い求め、帰ることを望んだ天のふるさととは、まさしく主の御許を指すのではないでしょうか。