聖歌 37 捜し出された羊
37 捜し出された羊 作詞: Anonymous 作曲: Anonymous 1、羊達よわが仔羊(こひつじ)、 見よやかしこの真珠門を 黄金(こがね)まといし花嫁の如(ごと) まばゆく光る御門(みかど)こそ 我等が為の賜物ぞ 2、辿(たど)る山路(やまじ)険しくとも、 喜びに燃え勇み立たん 夢に望みし天(あま)つふるさと 来たれ栄光ここにあり 来たれ栄光ここにあり 3、御使い達門(かど)を守り、 集い来たるは誰(た)が群(むれ)ぞ 赦しの門(かど)に入るを望まば 御父の印証示せよや 御父の印証示せよや 4、開かれたり天なる門(かど)、 永久(とこしえ)の門(かど)開きたり 来たれ来たれ諸人(もどびと)来たれ 慕わしわが主に会いまつらん 慕わしわが主に会いまつらん |
聖歌 第一部 37番「捜し出された羊」
聖歌37番「捜し出された羊」は作詞者・作曲者ともに不明です。
羊とはキリスト教でしばしば使われる比喩表現で、神やメシヤ(救世主)に導かれる信徒たちを、羊飼いに導かれる羊たちに例えます。
有名なものでは羊と羊飼いを用いて神の憐(あわ)れみ深さを説いた「見失った羊のたとえ」(ルカによる福音書 第15章1〜7節)という話があり、「神の憐れみの三つのたとえ」の一つともいわれています。
この歌はまさに曲名のとおり、神によって捜し出された羊(信徒)の感謝と喜びの心情を感じることができる歌ではないでしょうか。
日本語と韓国語では歌詞の言い回しが違う部分が数カ所あります。日本語は言葉の表現が多様で、韓国語は実に率直に伝えています。韓国語の歌詞を紹介します。
「羊たちよ、小羊たちよ。あそこの真珠門を望み見よ。七宝で美しく装った新婦のように、われらのために予備したものだ。
青い山道が険しくとも、道を行く困難を忘れてしまう。望んでいた天国がここなのだなあ。入って来さえすれば福楽なのだなあ。
天使よ、われらは主の羊であり、集められる羊の群れは誰の家の羊なのか。許諾したその門を入って行かんとすれば、善父の印票を出しなさい。
開かれたり、大きく開かれたり。天城の真珠門が大きく開かれたり。入って来なさい、早く入って来なさい。慕ってきた私の主にお会いしましょう」
(参照:韓国語聖歌[総カナ・日本語訳付])
原曲が韓国語の聖歌は、日本語と聞き比べてみると、聖歌に込められた思いや心情をさらに深く感じることができると思います。