聖歌 28 わが身の十字架
28 わが身の十字架 作詞: Kwng Yol Yoo 作曲: Doo Wan Kam 1、わが身の十字架を誰に担わさん 主はこの道を先駆けしを 賜りし御旨果たせずして 千歳の歴史は血と涙 ※(くりかえし) 十字架背負いてわれは行かん ゴルゴダかなたに勝利が歌う 2、身に過ぎし重荷、負わすべきや 強く歩まばわれは着かん 御旨に捧げしこの身なれば などてためろうや生命(いのち)の道 ※ 3、御旨成すが為、耐え来し父 子もまた共に戦わんや 成さずば苦労も無に等しく 戦い勝てば永遠の幸を ※ |
聖歌 第一部 28番「わが身の十字架」
作詞者の柳光烈(ユ・グァンヨル)先生は詩人で、長年韓国統一教会の文化部長を務めた人です。
作曲者の金斗?氏は既成教会の有名な作曲家で、その弟子を通じて作曲を依頼することができたのです。
1959年8月28日の朝、柳先生は例えようもなく神が慕わしく心情的に近く感じられ、熱い感慨が胸に溢れて「お父様に何か申し上げたい。何か書きたい」という思いがしたそうです。
その思いを書き留めようとして紙に向かうと言葉が後から後から湧き出してくるので、感動しつつ泣きながら書いたのがこの詩です。
その時胸に込み上げるものは「最後まで行かなければならない。いくら教会にいたとしても、最後まで行かなければ何にもならない」という思いでした。
そのころを思い出しながら、柳先生は次のように語っています。
「これは長年み旨の経験を積んだ人ならだれでも、わが気持ちとして実感できるでしょう。
いくら手柄を立てても、いくら苦労をした実績があっても、最後まで行かなければ何の意味もないということになる、そんな気持ちを強く表した詩です。
だから長年歩んできた人を、さらにさらに前へと激励する内容の歌です。
迫害や風当たりの強い時代であり、お父様も非常に気を付けながら兄弟を育てていかれた苦しい時でした。
私たちは果てのない道をいつまでも歩くような気持ちがいくらかあるのです。
でも結局は必ず終わりが来るのです。力を尽くして歩めば、必ず成就する日が来ます。
歩き尽くした時、行き着くのです」
(参照:『聖歌のめぐみ』)