聖歌 第二部 7番「しあわせってなんだろう」
1967年5月のことでした。大学の講師だった野村健二先生(この曲の作詞・作曲者)が授業の準備に行く道で、ふっとこの歌の最初の一行、「しあわせってなんだろう」が浮かんできたのだそうです。
今は教会員であればだれでも知っているこの歌も、作られた当初はあまりピンとくる人がいなかったようです。
「げらげら笑う姉妹もいましたね」と、野村先生も笑っていました。
この歌をたまたま柳光烈(ユ・グァンヨル)先生の夫人、大山君子さんが覚えていて、真のお父様(文鮮明先生)が「君子さん、何か歌ってごらん」と言われたときに、初めてお聞かせしました。
「それ、とてもいい。とてもいい歌だね」
お父様は非常に気に入られ、何度も聞いて覚えられ、口ずさまれるようになりました。その後、何回か、責任者たちや学生たちが訪韓した際は、よくこの歌に合わせて踊るようにと言われました。
「子供みたいな気持ちになって踊るんだよ」
ひばりのまね、羊のまね、オオカミのまねを、お父様もなさりながら踊り、36家庭の先生がたも一緒に入り交じって歌い踊る楽しさ。それは今も忘れがたく、その場に参加した人たちの胸に刻まれている思い出です。
また、マジソン大会(1974年)の前、アメリカに行っていた野村先生を、お父様はマグロ釣りに連れていかれました。すると、当時13歳くらいの孝進(ヒョウヂン)様が「あなたが『しあわせってなんだろう』を作った人でしょう。私はとてもあの歌が好きです」と、話し掛けてくださったそうです。野村先生は、孝進様の慰めを感じ、優しいかたであるとしみじみ思ったそうです。
これからも「しあわせってなんだろう」は愛され、歌い継がれていくことでしょう。
(参照:『聖歌のめぐみ』)