聖歌 19
19 われら統一勇士 作詞: Anonymous 作曲: Anonymous 1、われら集うは父の聖なる地 過ぎしあやまちは洗い清めて 新たなる決意、御前に誓い 御神の召したる神の子となりて 実れる田面(たのも)をみな刈り入れよう ※(くりかえし) ああわれらは統一勇士 2、われら慕うは父の御国 過ぎし日の不義はみな焼き払い 望みと信仰、愛に満ちて 御神の誇れる神の子となりて 垂穂(たりほ)を御倉にみな刈り入れよう ※ 3、われら立ちしは父の玉座(みくら) 過ぎし歳月(としつき)は洗い流して 新しき心一つに結び 御神の愛受く神の子となりて 父の御代(みかわ)りに戦い行かん ※ |
聖歌 第一部 19番「われら統一勇士」
原題は「統一勇士の歌」といいます。
日本だと7番の聖歌がこの名前なので少しややこしいですね。
この歌に限らず題名や歌詞が元の言葉と違う聖歌は意外と多くあります。
作詞者が歌詞に込めた思いを知るのに、日本語の歌詞の理解だけでは不十分ということですね(原文を知っていても全てを理解することは難しいですが)。
そこで今回は「われら統一勇士」の歌詞の中で原文(韓国語)と表現が違う箇所を一つご紹介し、歌詞の意味を考察してみたいと思います(※あくまで担当編集者の考えです)。
ここでは1番の「過ぎし過ちは洗い清めて」という歌詞について考えていきます。
原文では「過ぎし日の全ての過ちは涙で洗ってしまい」となっています。
過去の過ちをただ洗うのではなく“涙で洗う”といっています。
“涙で洗う”と聞くと聖書のこの場面を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
「するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った」(ルカによる福音書 第7章37〜38節)
有名な聖句ですね。この女性に対してイエス様は何と言われたのでしょうか。
「しかし、イエスは女にむかって言われた、『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい』」(ルカによる福音書 第7章50節)
“罪の女”といわれる女性がなぜ泣いていたのかは諸説あるかと思いますが、流す涙が心からのものだったからこそ救われたのでしょう。
そしてそれはイエス様の言葉にもあるように、彼女の深い信仰の表れだと感じます。
そのような信仰を育てていきたいと思いました。