ゴスペル大好き 我は供物

聖歌 15



15 我は供物
作詞: Hyo Min Eu 作曲: Hyo Min Eu

1、われ今知る全てを知る
  備えなせどむなし
  父のみこころをわれ今知る
  生贄なく泣かれる父を
  体で泣かれる悲しみ心
2、われ今知る全てを知る
  死にしわれを蘇かす
  父の御恵みをわれ今知る
  活かされし我にまた泣きたもう
  わが身に代われと父は泣きたもう
3、われ今行く雄々しく行く
  われ行く道を変え
  父に従いてわれ今行く
  そなう祭壇にわが身を捧げ
  信仰と従順でわれ今行かん

聖歌 第一部 15番「我は供物」


 1956年、劉孝敏氏によって作詞作曲された聖歌です。

 作者によれば「私たちは踏み台であり祭物だ。どのようになろうとも良い。全ての事を委ねます」という感動の中で作ったそうです。

 食口(統一教会〈現・家庭連合〉の教会員)たちはみ旨を成就しようという一念から出発したけれども、多くの人が祭物となることができず途中で落ちて出て行ってしまいました。
 それで先生(文鮮明先生)も説教中にたびたび泣かれながら、「あなたたちも私と一緒に死を覚悟して行こう」と切々と訴えられたのです。

 この歌はそのような先生の心情に応えて作られた歌であり、み旨の道を行く人の深刻な自覚と非常に切実な決心と誓いが、歌詞全文に溢れ流れています。

 「自分の寂しさが残っていたり、感情で動いたりしていては、供え物になり得ない。いかにみ旨を中心とするか。自分の感情いかんでなく、天の父が備えた祭壇の上に、のぼり得る者とならねば…」と、この歌の作者は言いました。

 この歌を深く歌いながら、供え物としての精神をもう一度訪ねて実感し、主の涙をわが涙としたいものです。(参照:『成約聖歌』)




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